さまざまな分野の人たちから発せられた言葉を集めてみました。
今、ここ、いつでも、どこでも生きているあなたの心に、響く言葉があれば、それをつぶやいて、少しでも元気が出れば嬉しいです。宮園氣道を主宰する私の哲学・価値観もお分かり頂けると思います。「命輝火守(いのちかがやかす)」と「術狂人」の表記は 私のことです。
気づきの言葉
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権力に委縮して忖度報道を続けるなら、それは報道とは言わない。癒着して権力に都合の良い報道を続けるなら、それは報道とは言わない (エドワード・スノーデン)
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もっと自由に今を味わって生きていけるような、シンプルな生活を選ぶことが大切です (ティク・ナット・ハン)
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生もなく、死もない (ティク・ナット・ハン):生死を超える、時空を超えるということか?
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仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり (道元禅師)
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私たちが、自分を忘れてしまうとき、それは大いなる存在の本来の働き、あるいは、真の存在そのものなのです。このことを理解すると、世界には問題というものがなくなります。そして、どんな困難もなしに生きることを楽しむことができます。私たちの修行の目的とは、この事実に気がつくことです (鈴木俊隆)
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われわれは、客観的な世界で何らかの成功をおさめることを求めるのではなく、人生における日常的な瞬間をより深く経験しようと努めています。それが坐禅のめざすところだからです (鈴木俊隆)
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一つの場所にとどまっていれば、自分の人生を完全に楽しむことができます。そのほうがよほど人間らしい人生です (鈴木俊隆)
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坐禅の精神を見つけるなら、人間としてたどるべき生き方が見つかるでしょう。言い換えれば、ものにもだまされないし、ある特定の考えにもだまされることがなくなります (鈴木俊隆)《識別力か》
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心はいつも、先入観、主観的な意図、癖などに満ちていて、ありのままのものごとの姿に開かれていません。・・意図的な、かっこうのいいやり方で、自分を適応させるのではなく、自分をありのままに自由に表現することは、あなた自身を、そしてほかの人々を幸福にするうえでもっとも大事なことです (鈴木俊隆)
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正確にいえば、私たちが自分の人生で学べるのは、一瞬一瞬での、私たちの働きだけなのです。私たちは、ブッダの言葉すら、学ぶことはできません。ブッダの言葉を正確な意味で学ぶということは、あなたが一瞬一瞬に直面しているこの働きを通して学ぶ、ということなのです (鈴木俊隆)
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一つ一つの息を数えるということは全身心を挙げて息をするということです。一つ一つの数を全宇宙の力を用いて数えます。だから自分の息を数えるということを本当に経験しているなら、月に到着したときよりももっと、深い感謝を感じるでしょう (鈴木俊隆)
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赤ん坊を見ていると、いつでも自分の人生を楽しんでいます。われわれおとなはたいてい先入観に囚われています。客観的世界と一つになっていないので、客観的世界から完全には自由ではないのです (鈴木俊隆)
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唯一の道は自分の人生を楽しむこと、それだけです。・・あなたがどんな種類の人生を生きているかということは、それほど重要なことではありません。最も重要なことは、ものにだまされないで人生を楽しむことができるということです (鈴木俊隆)
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道元禅師は、正しい修行をするとは正しい師を得て正しい指導を受けることだと言っています。さもなければ、禅を理解することはできません。この正しい修行、根本的な修行をただ続けること、それが最も重要なことなのです (鈴木俊隆)・・私は多くの師、恩人に恵まれた
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身心脱落 脱落身心 (道元禅師)
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与えることは執着しないこと (道元禅師)
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どんなものにも執着しないということは、この絶対的な価値に目覚める、ということです (鈴木俊隆)
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神が自分が神だとわからないとき、どうして神は助けることができるでしょう。私たちが世界中で問題を抱えているのは、このためなのです。自分自身の創造の基本的な源泉を忘れてしまうと、親を失った子どものようになにをしたらいいのかわからなくなってしまうのです (鈴木俊隆)
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後悔はしない。ただ振り返るだけです。そうすれば、これからなにをしたらいいのかわかってきます (鈴木俊隆)
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やる気を失うのは、修行が、理想を追いかけるものになっているからです。自分の修行でなにかの理想を獲得しようと考える、それは純粋とはいえません。修行でやる気を失ってくるのは、貪欲になったときです。修行に欲が出るとそれに負けてしまうのです (鈴木俊隆)修行を仕事や生活に置き換えても同じことか?
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小乗仏教では、修行を四つに分けています。四番目のもっとも高度な段階の修行は、なにも喜びを感じない精神的な喜びすら感じないで行う修行です。自分の身体的な感覚、心の感覚、すべてを忘れてしまって、ただ行う修行です (鈴木俊隆)
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心をどこかへ迷わせてしまうと、自分を表すことができなくなります。しかし、今、この瞬間にできることに集中することで自分の活動を制限してしまえば、自分の本性を十分に表すことができます。あなたの本性、それは普遍的な仏性です。これが私たちの修行の道です (鈴木俊隆)
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坐禅をするとは、自分の活動を最小限に制限してしまうことです。正しい姿勢を守り、座ることに集中する、それが私たちの普遍的な本性を表す道なのです (鈴木俊隆)
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もし私たちの修行の秘密を知っていれば、どこにいても自分自身が「ボス」になれます。どのような状況にあっても、ブッダを無視することができなくなります。あなた自身がブッダだからです。このブッダだけが、あなたを完全に助けるのです (鈴木俊隆)
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迷ったときには「瑞厳?」と自分で自分を呼び、「はい!」と答えるのです (鈴木俊隆)
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ほとんどの人は、妄想の中に生きています。そして問題を解決しようとして、問題の中に巻き込まれるのです。しかし、生きるということは、問題の中で生きることです。問題を解くには、問題の一部になること、問題と一つになることです (鈴木俊隆):完全受容し、問題の居場所を静心広大の心に与えよう
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大いなる心は、それについて話すもの、行動で表わすもの、そして楽しむべきものです。・・どんな問題も、大いなる心の表われであるとすると、そこには問題はなくなります (鈴木俊隆)
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(大きな滝で水を見て)水が川という原初の一者へと返るとき、水の一滴一滴は、もはやいかなる個別の感じは持っていないでしょう。それは、そもそもの本性に戻るのです。そもそもの平静を見つけるのです。水がもとの川へ戻ったときには、どれほどの喜びでしょうか! (鈴木俊隆)
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生まれる前、私たちはなにも感じません。私たちは宇宙と一つでした。・・生まれることによってそうした「一者」から隔てられたとき、ちょうど滝の水が風や岩などによって滝から隔てられたとき、私たちは感情というものを持ちます。私たちは感情によって、困難さを覚えるのです。あなたは、そうした感情がどのようにつくられたのか知らないで、その感情に執着するのです。自分が川と一つであることを知らないとき、あるいは宇宙と一つであることを知らないとき、あなたは恐怖を感じます。水滴として一滴一滴、別々であろうとなかろうと、水は水です。生と死は、同じものなのです。この事実をはっきりと認識すると、死に対する恐怖はなくなります。そして人生における困難もなくなるのです (鈴木俊隆)
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灰は薪(タキギ)に帰らない:灰は完全に灰であるべきなのです。常に完全に燃やし尽くして一つの活動の後に痕跡をとどめません。完全燃焼せよ (道元禅師)
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自分自身の悟りに気が付くとは限らない (道元禅師)
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山、河、大地、空、あらゆるものが悟りを得るようにとわれわれを励ましている (道元禅師)
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日日是好日 (禅語)
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直指人心 見性成仏:人間の心の根本を見つめて、そして人間のだれにもある仏性に目覚めなさい (芳澤勝弘) *仏性=神性
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ダルマ(真理):この世に放たれ、とどまり、必要とされたモノ (カタカムナ)
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宇宙とは、すべてゼロになろうとして動くエネルギーなので、個々に「遮り」ができ、「差」ができると、宇宙はその差をなくそうと、動き続けます。つまり、宇宙の原動力を生み出しているモノの正体こそ、「サ」というエネルギーなのです (吉野信子)
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悟り(さとり)の思念 : (さ)遮りを、(と)統合して、(リ)離す
私とあなたを遮っているモノ(目に見えるモノや肉体)を、一つに統合して、その差を切り離す・・・つまり、悟りとは、あなたと私を分けている肉体や境遇は違うけれど、それを取り払えば、実は同じだった・・・と気がつくことだと言っているようです。・・「悟り」という言葉は、「見えるモノに本質はなく、見えないモノこそ悟るべきモノ」だと言っているようです。悟りの本質がハッキリしたので、これからの人生の課題にしたいと思います (吉野信子) -
円相:惰性が一つも混じらないという形として円というのはあるわけですよ。この続きで気を抜いてしまうと、生きた丸にならないわけです。心がいつも躍動していること。白紙で事に向かうということ。白紙の心の力で今に向き合え (玄侑宗久)
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これ食うて 茶のめ (仙厓)
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心が貧しかったら 気持ちの良い茶会は作れんだろう (千利休)
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物事に最後はないでしょう。終わりは新しいことの始まりではありませんか (徳川家康)
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自力で悟った真理こそが仏の教えである (ちこつだいえ)
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空へ飛んで自由と孤独の旅をする (藤城清治)
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孤独を愉しむ、空腹を愉しむ (術狂人)
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真実を探求するのが研究者の使命です (西鋭夫)
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真実を求めて苦しむのは尊い (赤ひげ)
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みんな同じじゃない、プロの世界は立身出世、学問も同じ (西鋭夫)
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政治的中立という言葉で逃げている日本、大学、「学者」 (西鋭夫)
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Follow the money (西鋭夫)
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条約はいずれ破られる、強い国が弱い国を支配し、利用するためのもの (西鋭夫)
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知識への投資は常に最高の利息がついてくる (ベンジャミン・フランクリン)
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あまりに「専門化」しすぎると、そのバランス感覚が失われてしまうのです。幅広い分野から多面的に論じる必要があります (ダイレクト出版)
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なぜ、危機を乗り越えるための思想が「保守思想」なのか?それは、「保守」の根幹には「生き続けんとする意志と実践」があり、「死んでしまうこと」を避け続けるものだからです。ゆえに、「保守思想」は「生の哲学」と呼ばれます (ダイレクト出版)
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(戦後70年にしてアメリカの公文書も一般公開された)情報こそが最も有効な生存の武器である (井上正康)
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過ちを改めざるを過ちという (孔子)
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論語読みの論語知らず:書物に書いてあることを知識として理解するだけで、それを生かして実行できないさま
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東に病気の子供がいれば行って看病してやり、西に疲れた母がいれば行ってその稲の束を背負い、南に死にそうな人がいれば行って怖がらなくてもよいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、(中略) ほめられもせず、苦にもされずそういうものに私はなりたい (宮沢賢治)
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今の時代の第一の優先順位を見極めて下さい。心の声を聴き、直観に鋭敏であって下さい。全ての事を、愛の動機で取り組んで下さい。無心に無欲 ただ、愛に生きよ (スベテヲスベルオオミカミ)
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悟りを得た人は、"あるがまま"の自分に安らっているのです。簡単に言うと、猫のように生きているわけです (竹下雅敏先生)
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人間が見ることで量子の状態が変化するのではなく、量子が"見られた"ことを認識することで、変化する~粒子のような存在にも、意識と心がある (竹下雅敏先生)
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あらゆる存在には意識(サットヴァ<純質>、気づき)、心(ラジャス<激質>、思考・感情<苦の本質>)、身体(タマス<暗質>)がある (竹下雅敏先生)
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人生の究極の目的が「愛」であることを決して見失わない人は、どんなに困難な世界であっても、誠実に生き抜くことができるでしょう。・・・「愛」と「恋」を識別してください。「愛」は目的を持たない意識です (竹下雅敏先生)
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全てのことを愛の動機で取り組もう。無心に無欲。ただ、愛に生きよ (竹下雅敏先生)
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「幸せに生きるためには、何が大切だと思いますか?」という問いかけに、「愛です」と答える人と、「智慧です」と答える人がいるかも知れません。これは正解なのですが、ここでの「愛」は永遠のもので、「智慧」は究極のものです。「智慧」に関しては、ヨーガ・スートラ1・48に「内面の清澄のなかに、真理のみを保持する智慧が生まれる」と記されているもので、仏教ではこれを「般若波羅蜜多」と呼んでいます。「般若(プラジュニャー)」とは、“全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧のこと”を意味しますが、そうした中での「究極の智慧」を般若波羅蜜多といいます。そして、その究極の智慧である「般若波羅蜜多」を発現させる真言(マントラ)が『般若心経』の末尾に記されている陀羅尼(だらに)なのです。陀羅尼はそれを伝える資格を持った人物から、正確な抑揚を学ばなければなりません。私はその資格を持っており、先の陀羅尼を映像配信『宗教学講座 初級コース 第100回 大乗仏教(般若心経:般若心経のマントラ)』で公開していますので参照してください (竹下雅敏先生)
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「般若(プラジュニャー)」が科学などの日常レベルの知恵とは異なるように、「愛」は永遠のものであり、一時的な愛情や愛着とは別物です。もしもあなたの中で、愛がはかないものだと錯覚しているなら、それは「愛」を愛情や愛着と混同しているのです。実のところ、ほとんどすべての地球人は「愛」をまったく知らないし、体験したこともありません。天の裁きによって「魂」が滅びていなければ、あなたのハートには魂(ジーヴァ)が鎮座しています。それは、「私」と言いながら自分自身を人差し指で示す位置にあります。ジーヴァとは個我を意味するのですが、これは転生の主体となるもので、真我(アートマン)がコーザル界(原因界)にあらわれたものです。簡単に言えば、「神」の分け御霊のことです。そして、魂(ジーヴァ)の光が「智慧(般若波羅蜜多)」であり、ヴァイブレーションが「愛」なのです。従って、あなたが真の意味で「般若波羅蜜多」を知っている(体現している)とか、「愛」を知っている(体現している)ということになると、進化段階は4.0以上ということになり、インドの宗教では「解放に到達した者」とよばれ、仏教では「阿羅漢(アラハン)」と呼ばれる聖者を意味することになるのです (竹下雅敏先生)
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「幸せに生きるためには、何が大切だと思いますか?」という問いかけの答えは「愛」と「智慧」なのですが、それを体現している地球人はほとんど居ません。しかし、それを体現するための入口であり出口なのが「禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)」なのだということを知っておいてください。あなたが本当の「幸せ」を手にするには、「禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)」を守り、徳を積むこと。そしてガヤトリー・マントラによって「波動」を上げる事を心掛けて下さい。あなたの願望はいつの間にか叶うようになってくるでしょう (竹下雅敏先生)
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子供には「遊び」や「おもちゃ」が必要です。しかし、大人になってもこれらが必要であれば、それは精神的に未熟であることを意味します。人々が享楽をもとめ、「幸福」を求めないのは幼いからなのです。逆説的ですが、子どもの頃に十分に愛され、遊んだ人は精神的に早く成長するようです。この意味で、地球が平和に、そして人々が幸せになるための最短の道は「家庭の平和」にあると言えます。そして「家庭の平和」の中核にあるのが、夫婦の愛(性の一致)なのです。現代の社会は、夫婦の愛を破壊する思想や言動に満ち溢れています。混乱に巻き込まれて、「魂」を失わないようにして下さい (竹下雅敏先生)
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自分自身の波動を高めることによって、波動の低いもの、人、場所などを確かな体感として識別することができるようになります (竹下雅敏先生)
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(付き合う人は選べ)幸せになりたかったらアナーハタ・チャクラ(第4チャクラ)以上の波動の人と付き合うことです。波動は、地位や名声・才能と無関係です (竹下雅敏先生) *波動とは、エネルギーの質の高さの指標です
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波動の低い人と性的な関係を持たないように注意が必要です (竹下雅敏先生)
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意識的にチャクラの焦点を固定して写真を撮る、絵を描くなどで、様々なこれまでに存在しなかったレベルのアートを生み出すことが出来るのです (竹下雅敏先生)
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究極の意味では知識・言葉・概念は否定される(離欲)べきものです (竹下雅敏先生) *離欲:真実でないものを捨てること
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直観には知識は不要ですが、識別とは直観の一部です。識別:真理とそうでないものを分ける能力 (竹下雅敏先生)
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ヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は宇宙の普遍の法であって、神々が定めたものではありません。従って善・悪は、はっきりと存在するのです。仏教の空の思想がいかに虚構かよく分かると思います (竹下雅敏先生) *宇宙という相対の現象世界に生きるものとして、善悪の実在を認め、なおかつその識別能力を持つことが肝要か
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場合によっては、中絶は許されるべき小さな悪とみなされるべきでしょう。自害も同様です。ケースバイケースで自害した方が、むしろ望ましい場合もあります (竹下雅敏先生)
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この世界の人々は、口で祈る事柄と、本心(潜在意識)が異なることの方が多いので、ガヤトリー・マントラが本来の力を発揮しないことが多いのです (竹下雅敏先生)
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まず、始めなければならないことは「噓をつかないこと」なのです。他人に対しても自分自身にも噓をつかないようにしましょう。方便の噓もつかないように精進していると、政府が噓をついていること、メディアが噓をついていることが分かるようになってきます。そして、自分自身が自分の本心を偽っていることに気付くようになります。この「気づき」が重要なのです (竹下雅敏先生)
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自分自身に正直になると、本心と言葉が一致してきます。こうなると、自然と周りの環境が変化してくるのです。私は夢を追わないことで、すべての夢が叶っているのですが、それはこうした簡単な秘密を知っているからです (竹下雅敏先生)
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(霊的な進化の)王道はヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)と内省です。心の浄化が王道なのです (竹下雅敏先生)
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感情と行動を自分でコントロールできるようにならないといけない (竹下雅敏先生)
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今、世界は急激に変化しているのです。ですから世界の急激な変化を体で感じながら、世界は私たちの行動で急激に変わると感じながら行動することで、まさにその変化を引き起こせるのです。(竹下雅敏先生)
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霊的な世界では先に事が起こっており、変化は確実で後戻りすることはありません。要するに変化はすでに起こってしまったのです。これから変化するのではありません。すでに起こってしまった変化が、物質界に結実するだけなのです。この思想と考え方が世界に対して正しく働きかける方法なのです。もう一度、念のために言っておきます。“どうせ何をやってもダメ”という想いで行動してはいけません。世界の流れに逆らうことになってしまいます (竹下雅敏先生)
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(人生の目的=無目的?)その人が神と共に生きているとき、あるいは別の表現では自然と完全に調和して生きているときは、その人の人生は無目的なのです。例えば、私たち人類はあらゆる生命の中でただ人類のみが自然と調和していないと感じています。なぜなら人間のみが目的を持つからです。・・・自分以外の何者かになろうとすること(目的に向かって努力すること)こそ、あるがままの幸福から自分を遠ざけるということなのです。ですから現代人は、すべからく不幸になるための努力をし続けているということになります (竹下雅敏先生)
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これが瞑想が必要な理由となります。瞑想とは、心を清める手段なのです。つまり、人間の人生の目標は、心を清める努力をして悟りを得ること。すなわち瞑想という精進努力の目的は、目的を持たない心の状態を達成することなのです。一言では“無目的が目的”なのです。これは禅問答です (竹下雅敏先生)
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愛する事、感謝する事は喜びの源であり、一瞬にして不安を消し去ってくれる最高のエネルギーです (スベテヲスベルミコト様)・・愛と感謝で調和統合
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気付いた時にはいつでも頭頂に意識を持ち上げ、サハスラーラから光が噴水のように湧き出る様をイメージしてみて下さい (スベテヲスベルミコト様)
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魂が求めるユニティ、聖なる合一、陰と陽の結合、二つの異なるものを結びつけて、第3のものを生み出すための錬金術、アルケミー、それがセックスです。生殖の輪を外れた年齢域に入り、魂が成長する機会がやってきたとき初めて、封印してきた五感を開いて、瞑想的なSEXをしたいという欲求へと魂が導かれます。二つの異質なものの統合、それは魂のミッションなのです (Tarika)
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男性は「今日は何がお望みですか?」と女性に聞いてあげて:コミュニケーションが大事 (Tarika)
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死生天に在り、治療を行ふは自然也、ただ静かに人間を感ずること(観察)(野口晴哉)
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氣は精神集注によって集まり、呼吸によって動く。・・氣がゆけば血が行く (野口晴哉)
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体を弛(ゆる)めることだけが背骨に氣を楽に通します (野口晴哉)
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物においてエネルギーを想定しているのと同じように、人間の動的原理として氣をとらえてこそ、人間の行動が明らかになるのです (野口晴哉)
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生くる者は生くる也 死ぬ者は死ぬ也。治るは治るも 治らざるは治らざる也 (野口晴哉)
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治療のこと一生懸命に行ふべ可からざるものにして常に楽々悠々行ふ可き也。・・当り前のことが当り前に行はれて当り前の気持でその経過を眺めている者のみ 治療といふことを行へる也 (野口晴哉)
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安静の必要なる時に安静ならしめ、安静を破る可きに破らしむるのみ慎重といふ也。・・慎重といふこと用心に終始することに非ず。されど用心を忘るるはもとより慎重に非ず (野口晴哉)
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治療のこと 自然に依る也。花を咲かせるにも力をもってする人あるも、治療のこと 力を忌む也 (野口晴哉)・・・施術においてパワーはいらない
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治療といふこと いつもその出発点は相手の体也。・・主義を生かし 人を殺していること しばしばあり。慎まざる可からず (野口晴哉)
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治療のこと 人を強くする為に導く也。時に突き放し、背くこと必要也。・・治療する者の親切は彼をして独り立たしむるのみ親切也 (野口晴哉)
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治療のこと先づ自分を静かならしむる也・・落着いて生きた人間そのものを見るやう 心がけざる可からず (野口晴哉)
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治療のこと常に人を導いて強くする為に行ふ也・・病気を制すること目的に非ず (野口晴哉)
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生くる目的は生くること也 (野口晴哉)
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人間の生きていること必ずしも科学的ならず。・・大脳反射の事実見つけても 深山に石一つ拾ひたるもの也 (野口晴哉)
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治療する人 何時如何なる時に於ても 心静かに 息深くして直感的に行動出来る心に生く可き也。・・直感といふこと それが直ちに行動となりてのみ直感の行動也。・・迷ひし頭に直感無き也 (野口晴哉)
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耳に聴えずとも 澄みし心には感ずる也。眼に見えねど 心静かなれば判る也 (野口晴哉)
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生きている者は死ぬ也。死ぬ迄は生きている也。生きているも死につつある也。生くると死ぬとは一也 別なるに非ず (野口晴哉)
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治療する為には治療する者になること第一也。・・それ故治療の大事 先づ人より始まる (野口晴哉)
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治療するの人 利害得失の為動く可からず。・・病気の恐ろしさを軽視する可からず。・・恐ろしさを見つけなば、その恐ろしくなきに至る迄 之を見つめ怯えざるに至らざれば 治療といふこと為すを得ざる也。・・虎は火を恐る。狼も又火を怖る。されど人はその恐ろしさを知りて鼻先の煙草につけて楽しむを得る也。怖ろしきことの恐ろしき理由吞込みたる者に、怖ろしさに対する怯え無し。恐ろしさに怯えるは恐ろしき理由吞込めぬ為也。恐ろしきことと 怯へることと区別して見分け得るに非ざれば 治療するの人に非ず。 (野口晴哉) *恐れることは必要だが怯えてはならず
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自分の問題をいつも捨て切って、他人の幸せのこと想ふやうになりて 治療といふこと為せる也 (野口晴哉)
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その時そのやうに処する為には、自ら産み出す力もたねば為せぬこと也。習ったことを習ったやうにくり返す人々は記憶の樽也。治療家に非ず (野口晴哉)
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・・余分に患者をいじくるやうなこと為さず・・心に乱れ無きこと治療家の大事也 (野口晴哉)
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治療するの人 相手に不幸を見ず 悲しみを見ず 病を見ず。ただ健康なる生くる力をのみ見る也。・・不幸も 苦しみも 力を呼び起す者の前には存在してをらぬ也 (野口晴哉)
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・・治療するの人 悲しさをもたず 苦しさを知らず 病を知らず 不幸に悩むこと無く生く可き也。常に楽々悠々生きて 深く静かに息している者のみ 治療といふこと為すを得る也 (野口晴哉)
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どんな人の裡にも善はあります 幸せはあります 強くなる力はあります 健康であらうとする生命は動いてをります。・・一旦そのことを自覚すれば、自づから人は 自覚した方向に 歩みだすので ありまして、このことを自覚せしむるやう認むるということをしなければなりません (野口晴哉)
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・・患者に感謝を要求するのは報酬の二重どりであります。かういふ心をはなれて、生命と生命の感応に生くるのが治療する者の心であります。・・もっと堂々と深い息して生きられるやう (野口晴哉)
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・・生きた人間は一であり全であり、・・生命に活を入れる法一つなること (野口晴哉)
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治療の技術 生命の自然を会し 之に順って行はる。生きたる人つかまへずば、治療といふこと為し得ざる也 (野口晴哉)
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生命は調和也 いつもその方向を誤たず (野口晴哉)
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病気といふものは体の調整作用によつて在るものであるから、之を活用するやうに考へることは治療する者としては宜しい (野口晴哉)
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技術といふものは 心に至り 魂に至らねばならない (野口晴哉)
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死生を見つめて動じないやうにならねば、治療といふことは出来ない。他人の死生に動じない人はあるが、自分の死生に動じないやうにならねば治療といふことは出来ない。自分の死生に動じなくなつて、はじめて病気を活用する道が拓ける。飛び込んで浮かぶ瀬を見つけることは頭で考へてゐるだけでは出来ない。まして一指天によつて動く整体操法を治療として用ふることは、自分の死生天に在り 天によつて生き 死すといふことが腹に這入つてをらねばむづかしい。このことを腹に入れることが第一の治療術である (野口晴哉)=死生天に在り *浮かぶ瀬:苦しい境遇や状態から抜け出る機会、「身を捨ててこそ・・・もあれ」
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・・何もしないといふことも治療術であることが判らないから、人間が生きてゐることも判らない (野口晴哉)
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生きた人間に接することを会得しやうとする人は二二が四といふことにこだはつて、之に捉はれぬことが必要である (野口晴哉)
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観察といふこと 眼で見、耳で聴いてゐるうちは為す能はざる也。ただ静かに人間を感ずるに至つてのみ 観察といふことある也 (野口晴哉)
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操法といふこと気合也。気によつて気を制し、気によつて気を導く。治療のこと気合より始まる (野口晴哉)
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治療を行ふは自然也。人が人を治すに非ず。人はその在る あるに在る也。その在る あるに在らしむること 治療といふ也。わが治療といふこと 斯くの如き也 (野口晴哉)=これぞ自然治癒力!
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治療といふこと・・人の為ならず 世の為ならず ただ我が息の靖らかなる為也。為の為に非ず ただ一たるのみ。・・楽々悠々息し スラスラ容易に行はる可き也 (野口晴哉)
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一日生きたということは、一日死んだということになる (野口晴哉)
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生の一瞬を死に向ければ、人は息しながら、毎秒毎に死んでいることになる。生に向けるとは何か、死に向けるとは何か、この解明こそ全生のあげて為すことである。溌剌と生くる者のみに深い眠りがある。生ききった者にだけ安らかな死がある(野口晴哉)
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風邪は自然の健康法である、風邪は治すべきものではない、経過するものである (野口晴哉)
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病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です (野口晴哉)
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患者に発熱するチャンスを与えよ。そうすればどんな病気でも治してみせる (ヒポクラテス):発熱は素晴らしい
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発熱は人を苦しめているのではなく、助けている。38.5℃を超えれば免疫システムが活性化する (しんしん丸)
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感染症による発熱は脳に損傷を与えません。42℃を超える温度のみが脳に損傷を与える可能性があります。しかし、体温がここまで上がるのは珍しいことで、これは気温が非常に高い場合にのみ発生します。例としては暑い時期に締め切った車内に放置された子どもが挙げられます。子どもの微熱とは37.8℃~39.0℃です (シアトル小児病院)
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(私流の父母未生以前を考えていると)何か心配事がある時、遥か昔のどこにもいなかった自分を考えると不安から逃れられることに気がつきました (金光寿郎)
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ほとんど資金がない場合でも、直観があなたに何かするように促すとき、それが正しいときは正しいのです。直観から来たビジネスアイデアに対しては、必ず道が拓かれます。その道を歩み始めれば道が開けます。・・変化は私たち自身で起こさなければなりません (キンバリー・ゴーゲエン)
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大きな視点で物事を考え、自分の時間を何に使いたいかを考える必要があります。文句を言うことに時間を使いたくありません (キンバリー・ゴーゲエン)
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リピートじゃなくて、リボーンの時代 (キンバリー・ゴーゲエン)
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皆上手だから背中で演技できるわよ (樹木希林)
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一切なりゆき (樹木希林)
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結婚しなくても 人が成熟する方法を見つけていければいいんじゃないかって気が、最近はするのね。病気をするとわかるんですよ、人生って、そんなに長くないんだなぁ、って。だから無理をして、嫌な思いをしてまで結婚という形にこだわらなくてもいいのかもしれない。もちろん、恋人はいたほうがいいと思いますけど (樹木希林)
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死も日常、生きるも日常、さかいがない (樹木希林)
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落ち込むときはひとりでも、笑うの、そして、自分の頭をなでなでするの。そうすると井戸に水がわいてくるみたいに明るくなるのよ (樹木希林)
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宗達は作為と無作為のはざまを描いている (本木雅弘)
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人生を100%(丸ごと)楽しむ (武内恒則)~仕事も家事も趣味も入院生活も楽しむ
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人生を100%(丸ごと)味わう (命輝火守)~仕事も家事も趣味も入院生活も味わう
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掃除や皿洗い(家事)だって良い息抜き、感謝の好機会、それを味わう (命輝火守)=「面倒くさい作業」 ではない
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人生の全てにおいて完全受容(丸ごと受け入れる)=全てに「ありがとう」と言ってごらん (命輝火守)
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目方で男が売れるなら こんな苦労はするまいに (男はつらいよ)
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またどこかの旅の空で 巡り合えたらいいな 達者で暮らせよ (車寅次郎)
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寅さんは男臭くて 粋で 不良っぽくって 照れ屋で 優しくて 可愛くって 私は愛していました (「男はつらいよ」のマドンナ リリー役 浅丘ルリ子)
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きれいな花が咲いているとするだろ?その花をそっとしておきたいなぁという気持ちと、奪い取ってしまいたいという気持ちが 男にはあるんだよ。あのおじさんは、どっちかっていうと そっとしておきたいなっていう気持ちのほうが強いんじゃないかな? (甥っ子の満男君)
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おじさん、僕は近頃おじさんに似てきたとよく言われます。言う人は悪口のつもりなんだけど、僕にはそれが悪口には聞こえないのです。おじさんは他人の悲しみや寂しさが良く理解できる人間なんだ。その点において僕はおじさんを認めているからです。 (甥っ子の満男君)
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役者なんて定めのないもの。先のことはわかりませんよ。僕はひと月、ふた月先の仕事だって決めずに のんびりしていたいんだよね。そんなとき 何かがふっとわかる気がするんです (渥美清)
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一緒にいられるだけで幸せ (ある親子)
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(小中高30万人の不登校に対して)自分の好きなことをもっと大切にしていい (ある教師)
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心は温かく、頭は冷たく (美輪明宏)
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腹六分、腹八分というのが人生の一番のコツだと思っています (美輪明宏)
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恋愛は自由とロマンと夢ですよ、結婚は現実だけです (美輪明宏)
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人をコストとして考えるのではなく、投資として考えている (ハロッズ社長)
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時の流れは 一層早く 人生は束の間、 今ここ 一瞬を味わって リアルを生きる (命輝火守)
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人間を知ることが楽しい 命の共鳴こそが嬉しい そして想定外を愉しむ (命輝火守)
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自分の人生を生きるだけ (命輝火守)
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楽しい仕事をするというのが一番だと思う (森永卓郎)
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案ずるより産むが易し (諺)
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奥深く経験してこそ 氣の世界 (術狂人)
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量が質を生む (術狂人)
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氣の世界は理屈では理解できない。ひたすら感じること、その感性を磨くこと (術狂人)
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仏性根本、静心広大 (術狂人)
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氣は自由自在。頭で考えるより、感じる方が先。前頭葉を使いすぎるな (A.Iwami)
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絵を見ても書を見ても、音楽を聞いても、そのまま感じる。頭で分析するのは後でいい (A.Iwami)
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「今ここ」(いつでも、どこでも)が永遠に続く命の営み (命輝火守)
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時空を超える=相対の世界を超える、手を当てる⇒かざす+イメージ、30分⇒60分⇒3秒 (術狂人)
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人生は束の間短い それ故 ホンモノだけに接し味わいたい (命輝火守)
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思いついたら即行動 (命輝火守)
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旅で歴史的建造物を観て、当時の人々に思いをはせる。それは時空を超えて散策する楽しみ。当時の人口のおよそ半分、260万人が心身尽くして建造された奈良の大仏様 (命輝火守)
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奈良の大仏様は半眼、開眼(生の世界を見通す眼)と閉眼(死の世界を見通す眼)の両世界を見通す (命輝火守)
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シンプル(端的な表現)を追求する、何故か?抽象度が高いほど自由になれるから (命輝火守)
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発展や進化を無理して急がない マイペースがいい 結果を一番に考えず プロセスをリアルに味わって幸福を感じる つまり禅でいう即今(今ここ)を味わい尽くせばよい 刹那主義とは異なる 明日は死んでもいい 次の瞬間には死が訪れてもOKという生き方をしたい (命輝火守)
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違い 想定外を楽しむ 人は違って当たり前 その違いを良しとしてリスペクトする 環境 価値観 性格の違いOK そうすればハラハラドキドキの連続で面白い これって一つの悟り(差取り、気づき) これができれば世界中で争いがなくなり 平和が訪れる (命輝火守)
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自然そのものが神、仏なんです。すべてのものには神、仏が宿ってるんだということを心底理解することで、世の中がガラッと変わる (三木大雲)
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自分は得意なことしかしない (本田宗一郎)
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習慣にしてしまうこと それが努力し続ける一番のコツ (野村克也)
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私は長年の経験で、ネガティブな解釈をする傾向が強いと、お金も運も引き寄せないことを知っています。ネガティブな解釈が身についている人は運やお金の流れが悪化しやすい (礒一明)
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自分一人で大切な決断ができる体質になることが人生好転の秘訣です (礒一明)
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もちろんある程度の計画は必要ですが、慎重になりすぎ何年間も動かないよりもまず動いた方が圧倒的に次のステップが見えやすくなるので、結果を出せる確率が高くなります (礒一明)
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元気があれば何でもできる 分かんなくても不安でも 一歩踏み出してみろ (アントニオ猪木)
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皆同じ命を生きている 価値観の違いを受け入れる (命輝火守)
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恋愛は恋しいから 愛しいへ (命輝火守)
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女はずるくて可愛い (斎藤一人)
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GN1:義理・人情が一番 (斎藤一人)
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人と人との出会いは理屈では語りつくせぬものです (水戸黄門)
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出会ってみないと分からない、出会ってみるまで分からない、剱岳の表情 (登山写真家)
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どの草花もそこにいる理由がある。この世に咲く意味がある (牧野 万太郎:朝ドラ)
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愛しているから彼の人生に責任があるんです (グレースの履歴)
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男はうぶで可愛い (術狂人) 人は可愛い ♬ ♬ (小椋佳)
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キーワード(端的 十全なる言葉)は 「私は生命宇宙 小さき自己を忘れる」、「命を観よ、感じよ、愛せよ」 (命輝火守)
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人間は弱い でも強く生きてゆく 強くなれる 生命の理解と愛があるから (命輝火守)
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私の仕事は 最高の遊び スキなく ムダなく スッとする (術狂人)
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悟り(差取り):時空を超えて 相対の世界を脱し 本質の命そのものに遊んで 帰還する (術狂人)
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伝統療法は その土台を守りつつ つねにアップデートしていかねばならない (術狂人)
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「手を遊ばせておくのはもったいない」(宮園氣道のモットー) ⇒ 5分、10分のスキマ時間に自己ヒーリングや遠隔療法をせよ (術狂人)
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人生成るようになる (術狂人)
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火と水は対立的だけど、統合⇒融合すると新しい景色が眺められるに違いない (術狂人)
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人生は有限 時間と体力は有限 時間の使い方は 命の使い方 (天真爛漫)
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「サンデー毎日」ではだめ 締め切りが作品を作る (天真爛漫)
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フレーム(選択)が作品を作る:毎日毎日の選んだものが人生を作る (天真爛漫)
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”To do List”を前の夜には作っておく (天真爛漫)⇒ 決めたら迷わない!
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「辞め家事」:極力家事の手を抜き効率化せよ! (天真爛漫)
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健康年齢と時間が有限であるので、「何をするか」より、「何をしないか」を、そして、「誰と付き合わないか」を選んでいくのが大事だと思ってきた (天真爛漫)
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考える前に跳べ (伊東豊雄)
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人が集まり、コミュニケーションが生まれ、生きる力が与えられるような建築を造りたい (伊東豊雄):せんだいメディアテーク(2000年)、ぎふメディアコスモス(2015年)、みんなの家(東日本大震災後)
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どんなことをやっていても、かならずチャンスは来ると思っています (伊東豊雄)
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五体不満足一本大満足(笑) (乙武洋匡)
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万化(ばんか)を楽しむ (荘子)
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私はゆったりと春の海のように生きたい あてどなくのんびりと吹く風のように さらさらと生きたい (老子風)
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道は大なり (老子):人間は宇宙の偉大な活動力(それを仮に道という)によって生かされている
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無為自然(自然に任せて放っておく) (老子)
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天衣無縫(自然であって完全無欠で美しい) (霊怪録)
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おもしろ おかしく(社是):Joy and Fun (堀場製作所)
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六十七十は はなたれこぞう おとこざかりは 百から百から (平櫛田中 107歳没)
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上虚下実 (武道) / 目前心後 (能)・・・下実(ヒップアップして丹田を引く)
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種を見て 根の生えていないことを心配してはいけない (境野勝悟)
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この世は相対の世界 邪悪を淘汰して 生命宇宙がリセットされた (2024年)
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地獄への道はなぜ善意で舗装されているのか (善人は騙されやすい) (デニス・プレーガー)
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政治において偶然に起こることは何もない 何か起きたときは、それが起こるべく計画されていたと考えて間違いない (フランクリン・ルーズベルト)~プランデミック+経済崩壊(創造的破壊)=グレートリセット
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最大限のカオス(混乱)を最大限のコントロールに変える~デジタル通貨・ベーシックインカムの導入 (エルンスト・ヴォルフ)= 人々の救済+コントロール(支配)
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西も東も時の権力者は市民をうまくコントロール(プロパガンダや3Sによる愚民化)するのが大事な仕事 (命輝火守)
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真実や本質を言うと攻撃される~「自衛隊は暴力装置」という本質的理解は愚民の群れに攻撃された、そのレベルの日本、だから簡単に騙される、表だけではなく裏側も見てみよう (安部元首相の国葬の愚)
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日本は情報ガラパゴス 報道の自由が世界72位 (船瀬俊介)
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ノーモアヒロシマ ノーモアナガサキ & ノーモアヒバクシャ ネバーギブアップ (坪井直)
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乱世こそ人間力を高めて 建設的人間関係を築こう (藤原直哉)
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今年(2024年)は行動の年!:知って、行って、見て、会って、体験してみよう (藤原直哉)
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大宇宙のエネルギーは情報を持っている。効く人と効かない人を選ぶ。効く時と効かない時がある。つまり、再現性はない。単なるスカラー(量:大きさだけで定まる数量:長さ、面積、質量、温度、時間などの物的条件)ではなく、ベクター(質:方向性)をあわせ持つ。ゆがんだ考えの人には効かない。また、まともでない発想の時は効かない (藤原直哉)
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宮園氣道の生命エネルギーはベクトルだ。大きさと方向性(情報)をあわせ持っている。つまり、単なるパワーではない。エゴ(自我)を満たす方向性(情報)や目に見えない世界に対する疑念、不信が強い場合には、同調できないものだし、効果なし。悪用も成し得ず (術狂人)
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一歩を譲るを高しとなす~早くではなく ゆっくり落ち着いてを鉄則とし一歩を譲れ (古の道)
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(歴史に残る名画の謎について)分からないことって、いいことじゃないですか。正解のないこと、それは、心地良いこと (小野正嗣)
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日本を見ていてもしょうがない。世界に向かっていいものはいいとアピールしていきたい (山本寛斎)
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日本の文化は宝物 よく見つめてほしい (森英恵)
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歌は心で歌うもの (船村徹)
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歌は祈りだと思う。歌っているときは自分でなくていいと思う。自分は筒になっているだけ (坂本美雨)
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生かされているんだから、しぶとく生きるのよ (美川憲一)
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子供の学芸会みたいなのができればいい (柄本明)
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絵というものは人と同じで生命体なんですね (大原美術館館長)
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絵は見る人によって初めて生命を与えられる。牛は牛 馬は馬だ。鑑賞者は結局 見たいように見ればいいのだ (パブロ・ピカソ)
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アーティストは光を出せなければダメだ (ピカソ)
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やり通すことが人生の成功者 (ピカソ)
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アングルを変えてみよ (円山応挙)
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ゴッホになる (棟方志功)
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ホンモノは技術だけでできるものではない やっているうちに偶発的に出てくるモノ 理屈じゃないモノから出てくるモノが面白い だから偶発性と出会うために何度も何度も茶碗を焼く 新たな方法もどんどん試してゆく (辻村史朗)
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面白いからやる 楽しいからやる 好きだからやる (手島圭三郎)
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緊張感がないと 緊張感のある作品は作れない (手島圭三郎)
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一隅を照らす (中村哲)
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役を演じると考えるよりも、役に自分を反映させる (松坂慶子)
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美しい唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい (オードリー・ヘップバーン)
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アートは時空を超える。時空を超える旅を与えてくれる (片岡真実)
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着眼大局 着手小局 (朝堂院大覚、升田幸三)
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人は興味のある事柄に関しては、多くの情報を獲得しようとするが、信念に一致しない情報は避けようとする。自分の信念や態度を変えることにつながる情報を無視しようとする (岡崎匡史)
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今の日本人は 腰が抜けていて吞気 生活は楽じゃないけど 頭は吞気。吞気というのは「自分で考えて行動する空間が狭い」という意味。狭いから追い詰められてしまう。 (藤原直哉)
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時間と金は工夫次第 (藤原直哉)
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天に政策あれば 我に対策あり (藤原直哉)
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思わぬ縁が人を元気にする。常識にとらわれず縁を大事にすること。全ては気が付くことから始まる。知って、行って、見て、会ってみるのが大事 (藤原直哉)
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隻手の公案(禅問答):隻手音声 (白隠禅師)
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お花の中に 佛さんがいてはる (池坊専好)
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脚下照顧 (禅宗)
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本来無一物(ほんらいむいちもつ) (禅宗)
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味噌の味噌臭きは 上味噌にあらず (禅宗)
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答えは問の中にある(叩けよ、しからば開かれん)(不満のあるところ、すでに満足がある) (禅宗)
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生きながら 死人となりて なりはてて 思いのままに するわざぞよき(死人は物を欲しがらず、人に恋せず、人を嫌わず) (至道無難禅師)
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迷いてはこの身に使われ、悟りてはこの身を使う。何もおもわぬは、仏のけいこなり。なにもおもわぬ物から、なにもかもするがよし。身によき事をこのまんより、身を思わねばやすし(一切無執着の優位性) (至道無難禅師)
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仏にならうとせうより、仏で居るが造作なうて、近道でござるわいの (盤珪禅師)
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平生活仏(へいぜいいきぼとけ)でござる。常が仏なり。:不生の仏心 (盤珪禅師)
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嵐はかならず去る 火はかならず消える 夜はかならず明ける このことがわかれば 大抵のことは解決する (坂村真民)
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何(いか)にも身を捨ててこそ・・・ (空也)
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色即是空 空即是色 (般若心経)⇒ 色不異空(しきふいくう)
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スーットする(行動する)ことを覚えるんだよ (鈴木大拙)~無心の行動力
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元々、何もないんだよ、美穂子さん (鈴木大拙)
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人間が意識で考えるということは フォーカスである。焦点が合ったとこしか考えられない。これは実はエゴ(自我)である。自己中心の考え方で 焦点が当たるところは 無限の それこそ時空によって運ばれてきているということに 意識は気づかない。焦点が合った途端に もう自分に都合のいい事しか考えないような その意識の働きが働いているから、それで現実に起こっている出来事と自分の持っている問題の悩みというのが うまく調和できないもんだから そこで悩みが生まれるんだ (鈴木大拙) *ここでいうところの「意識」は 「頭で考えること、思考」を指している。大切なことは 「自己を忘れて、自己を全宇宙に解き放ち、まずは命そのものに 立ち返ること」ではないか。現実に起こっている問題は「無限の時空によって運ばれてきている」のだから、まずは完全受容し、対処改善すればいい。
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(自由)東洋における本当の自由とは、おのずからなる、おのずからによるということ。○○からの自由という意味ではない (鈴木大拙)
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禅の企てることは、われわれの世界観の最も過激な革命である (鈴木大拙)
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禅の領域は合理性の役に立たぬ所だということを忘れてはならない。実際、禅は合理には合理に適した活動の分野を供給する。禅経験あって、すべての合理的な上部構造は、その堅実な基礎を見出すといいうる (鈴木大拙)
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無明は無明以前の状態を自覚するとき初めて征服されるが、これが悟りであり、無明によって曇らされぬ、その在るがままの人間の本性を徹見するのである (鈴木大拙) ~ 雲が流れ去った後の月(本来清浄)
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仏教徒による真の精神的安息所は、論理と合理性のいまだ開発しないところ、存在を主張する主観もなく、把握される客観もないところ、見るものも見られるものもないところに初めて見いだされ、これこそほんとうの見性なのである (鈴木大拙) *見性:仏語。禅宗の用語。自己の本質を見ぬくこと。
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直覚(△直観)というものに二元的概念の痕跡のあるかぎり、悟りは直覚作用とはいえない (鈴木大拙)
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われわれが生きる刻刻が永遠そのものである。永遠はこの一刹那にほかならない。両者は相互に融けあい一つになっている。この完全な相即相入が悟りの内容である。・・・無脈絡こそ禅である(鈴木大拙)
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知性は元来、われわれを二元的に考えられている世界と調和させようとするものであるが、しかし、究極の実在を探るには不適当な道具である (鈴木大拙)~時空という二元的概念は実在をとらえてはいない。本来、時空は一つ。時空の概念を超えていけ。本質を押さえた後に、現象をうまくコントロールしろ。
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抽象論理(観念論的・心理学的理論による唯識やマインドフルネスの流れ)が経験事実(日常経験に基づく禅の悟り)を論理や言葉で説明したり、否定したりはできないようだ (命輝火守)
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禅はそのもの自体に成りきって行くという立場であるから、したがって単なる形式崇拝を嫌悪する。形式主義は人を束縛することのみを知って、精神的自由に対して寄与するところはない。知性主義も一種の形式主義である (鈴木大拙)
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禅は人為的な修行の規定や論理の束縛からの解脱を目的とする。換言すれば、禅は概念から自由になろうと欲する。人間とは概念を創りだし、それによって実在を左右しようとする唯一の存在である。しかし、概念では実在を汲みつくせぬ。というのは、われわれの概念的な扱いからするりと逃げてしまう何かがいつもそこに残っているからである (鈴木大拙)
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われわれが見るもの、聞くもので完全なものは一つもありません。しかし、不完全さのちょうどそのただなかに完全なリアリティがあるのです (鈴木俊隆禅師)
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だからわれわれは、何かを得ようという考えをもたず、いかなる目的もなしに坐禅をしなさいと言っているのです。あらゆるものを自分のものとして支えながら、ものをそれがするに任せて働かせておくのです。ほんとうの修行には方向づけ、あるいは方向性がありますが、目的や何かを得ようという考えはありません。ですから自分にやって来るあらゆるものを含むことができるのです。良いとか悪いとかということは問題ではありません。悪いものがやって来たら「オッケー、あなたは私の一部だよ」。良いものがやって来たら、「ああ、オッケー」。修行に特定の目標や目的を持ち込みませんから、何がやってくるかということは問題にはならないのです (鈴木俊隆師)~こうした達観(悟り)が心の平安を生む。善悪というレッテルをはらず、改善点があるなと喜ぶ。相手の改善点に悩まない。これは「来るモノを拒まず、去るモノを追わず」に通じる。
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伝統的な仏教の理解によれば、人間性はエゴを持ってはいないのです。・・・エゴとは妄想であり、私たちの仏性を覆い隠してしまいます。私たちは、いつもエゴの考えを作り出しては、それを追いかけています。そして、そのプロセスを何度も何度も繰り返すので、人生がすっかりエゴを中心にした考えで、占領されてしまうのです。これを業(ゴウ)による人生、あるいは単に業<カルマ>と呼びます (鈴木俊隆師)
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あなたは業を作り出し、そしてそれに動かされています。そして座蒲の上で時間を無駄にしてしまいます・・・なにかを獲得しようと考えるのは、単なるカルマの繰り返しです (鈴木俊隆師)
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道を信じるとき、悟りはそこにあります(鈴木俊隆師)⇒ 自分の本性に対する強い信頼を持て:仏性根本
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自分自身を完全に燃やしつくすのです。完全に燃やしつくさないと、あなた自身の痕跡が、あなたの行動の中に残ります。完全に燃え切らないものが残るのです。禅とは、常に完全に燃やしつくして、灰しか残らないことをいいます (鈴木俊隆師)
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考えるという行為は、基本的に言葉でもって過去や未来の事象に意味づけを施すことであり、徹底的に「今、ここ」に在り続ける坐禅とは根本的な方向性が異なる (吉村昇洋禅師)
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精神は言葉であり、言葉は精神だということを強調したい (安部公房)
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では、今ここの事実とは具体的には何か。我々禅僧ならば「姿勢と呼吸」と答えるところだ。身体が勝手にバランスを取ろうと働く「姿勢」と自分の意識と関係なく活動し続けてくれている「呼吸」。これこそまさに、今ここの自分に起きている事実に他ならない (吉村昇洋禅師)
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人生良いことしか起こらない、必要なことしか起こらない (命輝火守)
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明日は明日の風が吹く (命輝火守)
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すべてはほどほどに (命輝火守)
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一切皆空、万物流転、無執着 (命輝火守)
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(運命・命運):起こる事象は無限の時空を超えて運ばれて来る。それらすべてを完全受容し改善していくのが人生 (命輝火守)
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命を観よ、感じよ、愛せよ (命輝火守)
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がん細胞に愛と感謝の調和エネルギーを贈ると、がん細胞は正常化する。なぜなら、がん細胞は低体温、低酸素状態の過酷な状況を生き抜こうとする健康な細胞の先祖返りの現象だから(命輝火守)
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健康を過度に気遣うこと自体が病です (五木寛之 「健康という病」)
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(花田清輝が説いた「楕円の思想」は)楕円は中心を二つ持ち、相互に影響し合い、緊張や均衡が生まれるという考え方です。何か一つのものを「絶対」とするのは良くないですね (五木寛之 「同上」)
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私たちは発展するために生まれてきたわけではない。幸せになるために地球に生まれてきたのだ。政治とは、すべての人の幸せを求める戦いなのです。金持ちは政治家になってはいけない。貧しい人というのは物を持っていない人のことではない。真に貧しい人というのは、際限なく物を欲しがり、永遠に満たされない人のことである (ホセ・ムヒカ)
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素直すぎ、まじめすぎ、責任感強すぎは、人に利用されやすいので危険です (中野信子)
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いいかげん、適当にというのは、何がそこで一番大事かを瞬時に見抜くということ (中野信子)
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忘れる力、考えない能力が大事 (中野信子)
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環境の変化を与えなければ、皆さんの脳みそはさぼるんですよ。使わなければ上手に省略するのが生き物の常ですから、そうすると必要がないと思えばすぐに省略します (養老孟司)
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時には見ざる聞かざる言わざる そして思わざる (美輪明宏)
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思いついたら(ひらめいたら)即行動 (足立幸子)
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これからは損得より尊徳 (足立幸子)
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徳を積む生活をして頂きたいですね (三木大雲)
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一切を 佛にまかせ 蟻這へり (柳史)
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(言葉の限界に気づく)我々は言葉によって迷っているからこそ、逆に言葉によって正していかなくちゃいけない (横山紘一)
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(なりきる)一人一宇宙の心の中に松を見出すと、自分は松なんだよ。我々が対象になりきったらそれなんだね (横山紘一)
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過去をすべて受け入れる、現在をすべて受け入れる、未来をすべて受け入れる (小林正観)
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愛と感謝 (江本勝)
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神即我 我即神 (臼井甕男)
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臼井靈氣療法の使命:自他共に幸福を増進すること (臼井甕男)
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我は神なり、愛と光なり (齋藤一人)
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天地の心を以ってわが心となす (植芝盛平)
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人生という旅は、皆さんが欲望という荷物を減らしたときに、初めて楽しいものとなるのです (サティア・サイババ)
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何がアートマの原理を経験する邪魔をしているのか調べてみましょう。道の障害となっているのは、エゴと執着です (サティア・サイババ)
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すべては通り過ぎる雲のようなものです (サティア・サイババ)
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目に見えるものには、目に見えない基盤があります。目に見えないものを把握するための最高の方法は、探究であり、最高の証明は体験です。すでに体験した人には、何の説明も必要ありません (サティア・サイババ)
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愛は人類に生まれつき備わっているもうひとつの性質です。愛を表して、すべての人と分かち合うべきです (サティア・サイババ)
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神を探す必要はありません。神はあなたの母親や父親よりも身近にいます。あなた自身が神なのです。どうやって自分自身を探しに行くのですか? (サティア・サイババ)
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話したり働いたりするとき、その底に愛が流れていることが最も重要です (サティア・サイババ)
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瞑想に形はありません。心を内側に向けることです (サティア・サイババ)
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友達は選ばなくっちゃね (座頭市)
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朝が来て、今日一日だけは生きていよーかなって・・・ (座頭市)
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人にはそれぞれ寿命ってもんがあるんだ (座頭市)
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性根を入れ替えて出直してこい (座頭市)
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いったいなんの目当てでそんなことをしてんですか (座頭市)
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なんです?その不安ってやつは (座頭市)
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人間、腹がへりゃ みんな狼になっちまうんじゃないですかね (座頭市)
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逃げていくもんを追うんじゃない (座頭市)
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広い世間には 性の合う所ってのはあるもんだよ。まあ お前さん 今まで住んでいた所が 悪いからと言って そんな 気を落とすことは ありゃしねえ。この腐るほど人間がいる世の中で 悪い所が100ぐらいありゃ いい所だって100ぐれえ あろうじゃねえか。そうでしょう? (座頭市)
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俺はこれから 10里も20里も 歩かなくっちゃならねえんだ。・・私も その10里も20里も 一緒に歩いて行っちゃあいけない? (座頭市)
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お前さんという人は 心の優しい人なんだねえ (座頭市)
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次の宿場まで 足を延ばしますか? (座頭市)
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病気っつあ 気持ちの持ちようひとつですから (座頭市)
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海の音はいつ聞いてもいいなあ 気が晴れ晴れするなあ (座頭市)
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お天道様の下をなあ 大手を振って歩ける男にならなくっちゃあいけねえ (座頭市)
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そいつは悪い了見だ。とんでもねえことですよ。観音様に死なれちまったんじゃ、浮世の亡者どもが迷っちまう (座頭市)
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心の腐ったお人たちのところへ、あの子は帰りたくはありませんよ (座頭市)
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どうも世の中のしがらみってやつは、もう本当にどうにもならねえってときがあるもんですね (座頭市)
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自分を守るのは自分しかいないんだよ。人を見たら泥棒と思えというだろ (座頭市)
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遠くとも 人の行くべき 道ゆかば 危うき事は あらじとぞ思う (明治天皇)
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ともすれば 思はぬ方に うつるかな こころすべきは 心なりけり (明治天皇)
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目に見えぬ 神に向かひて 恥じざるは 人の心の まことなりけり (明治天皇)
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私の一片は、宇宙の中にいるすべてのものの中に存在する (バガバッド・ギーター)
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超常現象はあるが、超自然現象はない (佐野千遥)
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目指すものがあって、物事には順序があるので何を優先するのか考えながら進める (大谷翔平)
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どんなこともプラスに考えるようにしている (大谷翔平)
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落ち込むことを含めて いい一年だったと思う (大谷翔平)
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よく分析し、待ちではなく積極的に打っていくことが大切 (吉田正尚)
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(次元を変える・視点を変える)夜空に拡がる円形の花火はよく考えれば、その時、実は球状に爆発が拡がっているのです。だから、地上のいろんな所から見てもきれいな円形に見えるのです。(もうひとつ上の次元で考えてみよう) (佐藤雅彦)
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生命は機械ではない、流れだ (ルドルフ・シェーンハイマー)
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生命には部品がない、部分がない (福岡伸一)
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生命の定義:生命とは動的平衡である (福岡伸一)⇒人間社会も生命、地球も生命と考える
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聞こえてくる音が音楽ではなく、やっている人が音楽なのです (木田たかすけ)
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荒波も くぐりぬければ ただの波 (中尾ミエ)
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千の理屈より 一歩踏み出せ (中尾ミエ)
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歌は語れ 芝居は歌え (森繁久彌)
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現状にすがるより 新たな可能性を見つける方が 生きている価値を見出せる (石黒浩)
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生産性や経済性だけが優先されると、農作物が人の健康や命を支えているという当たり前のことが見えなくなってしまいます (山田英生)
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どこをとっても自然とは美しいものですね。喜びに悲しみに皆、皆、生きてるんだ (手島圭三郎)
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旅こそは わが人生 (アンデルセン)
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旅は道連れ世は情け 袖すり合うも多生(他生)の縁 (仏語)
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来(きた)るモノは拒まず、去るモノは追わず (故事)
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能ある鷹は爪を隠す (諺)~ホンモノはさりげない
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運動法則の中に「時間の矢」(時間は一方向に進む)は入っていない (松浦壮):一般的に物事は時間に沿って 過去⇒現在⇒未来(因果律) へと進むように 経験的常識で考えられ観念になっているが それは確率論に基づいているに過ぎない。例外や奇跡として扱われる事象(未来⇒現在⇒過去 果因律)も起こりうる。 *ニュートンの運動方程式:F(力)=m(質量)a(加速度)の中には 「時間(t)の矢」は入っていない