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奇跡の起こし方


斎藤一人さんが「奇跡の起こし方」について話していた。示唆的な内容なので、氣功塾の<ワンポイントレクチャー>で取り上げてみた。


一人さんは、まず、奇跡について定義する。「奇跡というのはめったに起きないこと。ちょくちょく起きるのは奇跡じゃない。全然起きないのも奇跡じゃない」 そうですね。奇跡はめったに起きないけど、起こりうるもの。奇跡と同じようにめったに起きないコトは、例外だとか、たまたまの偶然と言って片付けられてしまう。常識や経験則では説明ができない事象については、奇跡、例外、偶然などの言葉が用いられる。しかし、説明ができなくても、何かが起こるためには、原因や条件が明確に存在しているはず。火のない所に煙は立たぬ。がん細胞が自然に消え去ることはしばしば起こっている。


次に、一人さんは、奇跡の実例として「雑草のたくましさ」を紹介している。「アスファルトを突き破って雑草が芽を出す。雑草はたくましい。雑草は測れないような無限小の弱い力で、持っているすべての時間をかけて、最大の時間をかけて、アスファルトをじいっと押していくんだよ。そうすると奇跡が起きる」 なるほど、<無限小の弱い力>で<持てる最大の時間>をかけて、その通りだと思う。アスファルトを瞬発的に持ち上げる力は、雑草にはない、私たちだって素手でそれはできない。雑草の細胞の生命力、増殖力が無心に、じわじわと働いているに違いない。それが主体的な原因(要因)だ。もちろん、それに加えて、好条件がそろったに違いない。暑い夏の日差しが当たる場所のアスファルトで、柔らかくなったアスファルト、雨水も入ってくる良い場所に種が落ちたなどの好条件があったに違いない。コンクリートの下だったらこの奇跡は起こらなかっただろう。


一人さんは、更に続けて、「雑草の種には、一気にアスファルトを突き破る力はない。でも、草は無理だとは思わない」 なるほど、面白い。「草は無理だとは思わない」 それは、「本来の生命力が無心に働く、働き続ける」ということではないか。困難や試練に直面しても、あきらめず、無心にアスファルトをじわじわと押し続ける雑草のたくましさが、私たちにはあるだろうか?


人間は理性が働くので、奇跡とかは信じられず、すぐあきらめてしまわないか?無心に頑張るなんてなかなかできない。人間は頭でっかちで、合理を追求し、無駄な努力はしないもの。たとえ、困難な状況に置かれても、雑草のように、したたかに、たくましく、自己の生命の力を信じて、無心に行動出来たら、どれほど素晴らしいだろうか。


私は施術家として1997年から26年にわたり、癒しの方法を追求してきたが、一人さんの「奇跡の起こし方」から学ばせてもらった。それは、無心に、<無限小の弱い力>で<持てる最大の時間>をかけること。生命力を信じる力が大事だということだ。施術の達人である野口晴哉先生が「治療するの人、相手に不幸を見ず、悲しみを見ず、病を見ず。ただ、健康なる生くる力をのみ見る也」とおっしゃったが、この施術する者の基本的な心構えは、困難な苦難の現状を見るのではなく、生命の力を信じ、そこに依拠せよという教えではないか。


<無限小の弱い力>で<持てる最大の時間>をかけるということは、微細な周波数の氣功のエネルギーを、波状攻撃の形で絶えず流し続けることではないか。たとえ、5分、10分でも1日に5回、10回と施術する。それは無心なる行動、あきらめは存在しない。成就するまで根気よく続けるので、成就してしまう。そういう世界があると思われる。今思い返すと、私が自宅で両親に絶えず遠隔療法を続けたことで、病気が回復し、健康が保たれたことは、無心のなせる業だったと思う。


頭で考えすぎないで・・・・、生命力の無限の力を信じ、無心に波状攻撃を繰り返し、自他を癒していこう!!


2024.2.12







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